桂吉朝(かつらきっちょう)は、1954年(昭和29)年11月18日に生まれて2005年11月8日に没した落語家で、本名は上田浩久(うえだひろひさ)I。
1974年(昭和49年)「桂米朝」に入門した。
亡くなる直前まで吉朝が「米團治」、3代目・桂小米朝が「米朝」としての襲名を進めていたが実現することはなく、結局小米朝が「5代目桂米團治」を襲名した。
入門当初から師匠である桂米朝の「端整で正統派落語」を多く引き継ぎ、そのセンスを認められ、米朝一門だけではなく上方落語界全体を担っていく次世代リーダーとして注目されていた存在でもあった。
「七段目」「蛸芝居」などといった芝居噺が得意で、また、「地獄八景亡者戯」「百年目」「愛宕山」「高津の冨」「千両みかん」などの大ネタに現代センスを融合させた「くすぐり」を加えることによって独自の世界を創造して「米団治系の後継者」とも呼ばれていた。
おもしろさだけでなく、こなせるネタの幅広さは群を抜いていた。
弟子は、桂あさ吉、桂吉弥、桂よね吉、桂しん吉、桂吉坊、桂佐ん吉、桂吉の丞がいる。